夜、散歩する

駅へ、帰り道を歩いていた。夜の緩まった寒さに、ふらりと何処か寄り道をして、腹を満たして帰りたい気分になった。
そんなときによく立ち寄る店があり、理由は、店の古さが呼吸に馴染むからだ。そうして、今日もその古ぼけた暖簾をくぐり、ホルモン定食を頼んだ。ひとりで食事をするときの店内は景色だ。奥の棚に見える風邪薬ばかりが詰まった薬箱を眺めながらホルモンを噛み、冬の終わりのことや、読んでいる小説のことについて考えていた。
「この歳になると、食べることくらいしか愉しみがなくなってきてね……」
誰かが昔つぶやいていた言葉をふと思い出す。私の愉しみは何だろう――煙草やいろいろのことをやめたけれど、それが何に変わっただろうか――手帳を開いた。予定はなかった。欲しい物リストには「アコースティックギター」と「コーヒーメーカー」とあった。
飲み込む要領を得ずにホルモンを噛み続けていると、鍵を職場に忘れたことに気づいた。寄り道はするものだ。しかし、来た道をもう一度戻らなければならない。

店を出ると、夜風が心地よいつめたさをふくんで吹いていた。来た道を戻り歩いていると、そのまま散歩をしたい気分になり、暗がりに誘導されるように道の奥まったほうへと曲がって行った。平日の路地裏は、眩しさのない明るさにみちていた。煙やいろいろな食べ物の匂いが溢れていた。いつの間にか、私の前を老夫婦が歩いており、何処かで食事をして帰っている様子で、「おいしかったわね」だとか、そんな会話が聞こえてきた。どことなく、互いが互いの方に傾いているように見えた。ほんとうに他愛のないことを何も気にせずに誰かに話したのは、いつだっただろうか。そもそもそんなことがあったのだろうか。ああ、足りない、足りない。急に、温度のないがらんどうの空間の中を歩いているような気がして、温かい飲み物が欲しくなる。灯りをめがけて歩いていると、子どもの居ない小学校で、大人達が明明とライトを照らしてサッカーをしていた。校庭の砂を踏みたくなって近くまで行ってみると、何だかライトが白々しく、異様な眩しさをしていて、学校の中に入る気が失せてしまった。やはり夜歩くのは、夜道にかぎるようだ。小学校から遠ざかるにしたがって、今度は夜道にぬくもりのようなものを感じはじめていた。ただ歩くことも、どこか変われば、それは散歩になる。そうやって、歩いていているうちに、とりとめのないことをただ書いておきたい衝動に駆られた。ペンも灯りも何もなかった。携帯電話は電池が切れて、ただのつめたいプラスチックだった。しかし、散歩はよいな、よし、帰ったら手帳に記しておこう。いや、何か別の場所がいいかも知れない。場所があって、ひとがいる。場所があれば、そこが居場所だ。
家に帰り着くと、屋根の上にはオリオン座が瞬いていた。