ジンジンギター

昔々の話。ギターを弾きながら、歌のようなものをつくって、カセットテープレコーダーにひたすら録りためていた時期があった。
テープを止めて、巻き戻し、再生する。そこから流れてくるのは、私の頭の中の感覚とはまったく別の、ひどい音だった。リズムはガタガタで、ペコペコしたギターの音と素っ頓狂な声。どこか聴いたことのあるメロディの繋ぎ合わせ。誰に聴かせるわけでもないのに、気恥ずかしく、自慰行為の後のような、どこか後ろめたい心持ちがした。
それでも、自分の中から他人のものが出てくるような感覚は新しく、楽しくて、しばらくの間、夢中になった。
今では思い出せないが、私にとって、その行為のほとんどは憧れから来るものだったのだろうし、麻疹みたいなものだったのかもしれない。或いは寂しさだろうか。創りつづける人は、音もなく創り続け、やめてしまう人は、声も出さずにやめてゆく。
あの頃の私は、一体何にふれたくて、何をふれようとし、何にふれて欲しかったのだろう。
最近になってまた、思いついたようにギター取り出しては、弾くようになった。弦を押さえる指先が、しだいに、ジンジン、ジンジン、と痛みを思い出しはじめる。ふれることは痛いのだ。間を置くと、少し痛みが引き、また弦にふれたくなる。自分の出したどうしようもない音に耳を傾ける。普段、音楽を聴いているのとはどこか違う。耳を傾けなければ聴こえてこない音。誰も聴かない、誰にも届かない音。
綺麗なものをガラス瓶に詰めて、けしてふれることなく、外側から眺めては、ぬるくて、甘いため息を吐く。痛くないから、心地良いのだ、まるで夢のようではないか。
 今、私がふれているものはなんだろうか。
時折、私を急きたてるように、指先が、ジンジン、ジンジン、と騒ぎだす。