記憶と喪失

過去の「喪失」について思いを巡らせていると、いつも同じ場所に辿り着く。

小学校の高学年まで住んでいたアパートのことだ。小学生の頃、毎日一緒に遊ぶような一番仲の良い友達は、きまって一年足らずで引越していった。だから、雪が溶ける頃には、また「行く」のだろうと、幼いながらにも、自然と寂しい心持ちになるのだった。

「引っ越すんだ」
ある日、突然告げられる。
幼い私にとって、喪失の傷を癒す魔法の言葉は、
「忘れないからね、また逢おうね」
それで十分だった。

ある年、同じように、毎日一緒に遊ぶ友達がいた。友達は、私と同じアパートに引越してきた。母親はいなくて、父親と弟二人の四人で暮らしていた。夏休みになると、友達兄弟三人と、虫を採りに行ったり、缶蹴りをしたりして、毎日、日が暮れるまで遊んだ。

夏休みが終わると友達の家族は居なくなっていた。お別れの言葉も、傷を癒す魔法の言葉もなかった。
今でも、思い出すたびに、モノクロームの夢のような、影のような存在として、私の記憶の中にゆらゆらと漂い続けている。そして、私はときどき、諦めてしまう理由を、その影の存在の中に探してしまうのかもしれない。

「犬の記憶」を辿っているうちに、ふと、そのアパートをに行ってみたくなって、今日、足を運んでみようと思った。

犬の記憶 (河出文庫)

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